別に誰とは言わんがかつての大物音楽プロデューサーがオーディオオカルトみたいなのに傾倒していたりする事を考えると、90年代までの音楽制作の予算が本当に妥当なものであったかは結構疑問に思える。そして単純な事実として、海外のインディーズのプレイヤー兼エンジニアがベッドルームスタジオでマスタリングした音源が大変なクオリティを誇っていたりする。
こういっちゃ何だが、ミリオンヒットがポンポン出ていた90年代なんかより、今の方が音楽的には豊かになっているのだろうと思う。音楽業界の一部が企画主導で大金をかけて売り出す金太郎飴のような音楽なんかより、北欧や南米の片田舎で作られた音楽の方が身近になった今の方が、ずっと。
Catyにはクラス(という名前のサブモジュール。クラスと名乗っているのは綴りが短くていい名前がなかった)演算があるので、時々メカニズムと直観にずれが生じる。
class X = {
command foo :: any -> any { ... }; //何か適当な処理
command bar :: any -> any { ... | foo | ...}; //内部でfooを参照している。
};
見ての通り、同じクラスのコマンドは修飾なしで呼べる。(当たり前。)
それでは次のケースはどうか。
command foo :: any -> any { ... }; //何か適当な処理
class X = {
command bar :: any -> any { ... | foo | ...}; //内部で親モジュールのfooを参照している。
};
これも問題ないだろう。自分の属するモジュールのコマンドが無修飾で呼べなかったら不便過ぎて使い物にならない。
それでは次は?
command foo :: any -> any { ... }; //何か適当な処理
class X = {
command bar :: any -> any { ... | foo | ...}; //内部で親モジュールのfooを参照している。
};
class Y = {
command foo :: any -> any { ... }; //親モジュールのfooをシャドーイング。
};
class Z = X & Y; // Xから受け継いだbarが参照するのはYから受け継いだfooである。
これはマズい。Xのbarは親モジュールのfooを呼ぶことを念頭に置いているが、クラス演算でフラット化されるとbarはXに所属していた事を忘れてしまうので、結果としてZに属するYから引き継がれたfooを見てしまう。しかしこうしないと不便なケースがある。
command foo :: any -> any { ... }; //何か適当な処理
class X = {
command foo :: any -> any; //宣言だけしておく。
command bar :: any -> any { ... | foo | ...}; //内部でfooを参照しているが、未定義なので動作しない。クラス演算で実装が注入されるのを前提としている。
};
class Y = {
command foo :: any -> any { ... }; //親モジュールのfooをシャドーイング。
};
class Z = X & Y; //Xから受け継いだfooの宣言はYからのfooで定義が与えられる。
このようなケースでは、元の構造を忘れて新たな構造を参照しないとマズい。かといって形だけ宣言しておいたコマンドについては新たなクラスのものを参照して、そうでないものは参照先を変えないという処理も結構大変。
command foo :: any -> any { ... }; //何か適当な処理
class X = {
command bar :: any -> any { ... | foo | ...}; //最初の例と同じ
};
class Y = {
command foo :: any -> any { ... }; //親モジュールのfooをシャドーイング。
};
class A = {
command foo :: any -> any; //インターフェースのような役割のクラス
};
class Z = X & A & Y; //ここでbarはどこのfooをみるべきか?
多分この場合はbarの中のfooは親モジュールのfooを参照すべきなのだろうが、そうすると次のようなケースで困る。というか面倒くさい。
command foo :: any -> any { ... }; //何か適当な処理
class X = {
command foo :: any -> any; //宣言だけしておく。
command buz :: any -> any; //宣言だけ
command hoge :: any -> any; //同じく
//以下Xのコマンドで使う宣言を並べる
command bar :: any -> any { ... | foo | ...}; //内部でfooを参照しているが、未定義なので動作しない。クラス演算で実装が注入されるのを前提としている。
command boo :: any -> any { ... | buz | ...}; //上に同じ。
};
class Y = {
command foo :: any -> any { ... }; //親モジュールのfooをシャドーイング。
command buz :: any -> any { ... }; //buzを実装
command hoge :: any -> any { ... }; //hogeを実装
//以下実装たくさん
};
class Z = X & Y;
特定のコマンド群を実装した事を前提としたクラスと協調して動く際に、使う分の宣言が必須になってしまう。いやこちらの方がプログラムを書くものの意図が明確なので良いといえばそうなのだが。
ここはまだいろいろ不確定だが、例えば次のような構文で特定のクラスのコマンド群を使う異図を明示し、その名前が無修飾で出てきたら将来演算で混ぜられたら参照先を変えるみたいな機能が提案されてはいる。
command foo :: any -> any { ... }; //何か適当な処理
signature I = {
command foo :: any -> any; //宣言だけしておく。
command buz :: any -> any; //宣言だけ
command hoge :: any -> any; //同じく
};
class X requires I = {
command bar :: any -> any { ... | foo | ...};
command boo :: any -> any { ... | buz | ...};
};
class Y conforms I = {
command foo :: any -> any { ... }; //親モジュールのfooをシャドーイング。
command buz :: any -> any { ... }; //buzを実装
command hoge :: any -> any { ... }; //hogeを実装
};
class Z = X & Y;
あと上記のXは単体では決して動作しないでクラス演算が前提なので、それこそtraitというキーワードを導入すべきではとか、まあいろいろ。
前に演奏だけ録っておいた曲に歌詞を付けたんで、適当にヴォーカルを入れた。昼飯食ってすぐに録音、晩飯の前後にミックスといういつも通りの「できたんだからとっとと公開しちまえ」精神なので、まあ細かい所がアレというかいつも通り俺のヴォーカルはアレだが、まあこれはそのうち練習するということで。
演奏はミックスを弄っただけで特に再録したわけではない。が、Linux DSPのWorkstation Plugins Packのダイナミクス、マルチバンドコンプ、EQ、リバーヴといったものを導入してみたので前の奴とは楽器パートも印象が変わっているはず。全体的に重心を下げてまとまりをよくした感じ。
ああもうそんな季節だなあと思う反面、未だに解決していないんだなあと思うのがこれ。もうね、「掛け算の順序なんてどっちでもいいじゃねえか」の一言で済む問題がなぜか現場のわけわからん連中に引っ掻き回されてんだから教員ってマジでわけがわからん。
なんで掛け算の順序にこだわるのがマズいかは、以下の記事がかなり簡潔にまとまっていると思う。
問題の捉え方には様々な形があっていいし、むしろ様々な視点から正しい答えにたどり着けるというのが面白い所の一つのはずなんだけどねえ。
ってか掛け算の順序固定で教育された子がある日突然「いやそれ違うんですよ」と言われたら、ふざけんな馬鹿野郎って思っても仕方ないよな。
「掛け算の順序には決まりがある」と考えているチンカスどもと、「理系の学問には答えが一つしかない。文系は多様な答えがある」と考えているド低能どもはどの程度被っているのか、ちょっとだけ興味がある。学校教育についてなんか10〜20問程度のアンケートを作ってそこに先の二つの設問を入れて、それで関連性を調べるとかしてる人いねえかな。
なんつーか、ソフトウェア開発ではよほどの事情がない限りはバグレポートの際に再現コードやデータを一緒に送り付けるのは常識だと思うのだが、どんだけ経ってもこっちが「現象再現できないのでデータくれ」って催促しないとデータや再現手順を寄越さない奴っているんだなあ。せっかくこっちが物によってはターミナルから1行叩けば現象再現できるものを作ったってのに。まあ、実際に俺が自力で再現データを作っちゃうことも多いので相手が付け上がっているというのも考えなくはないが……。
バグレポートには
以上3点がないと話にならんのだが、1番目(及び2番目)だけがポンと出されて残りはこっちが催促しないとやってこない事が非常に多い。物にもよるとはいえ、Catyは3番目についてはかなり提供しやすいように作ってあるのだが。
あと2番目だけが欠落しているという何をどう直せばいいんじゃお前みたいなレポートもあったりするのだが、これはお互いにあるべき動作が全部わかっているという有り得ない前提に立ったバグレポートなので、まあCatyの作りとは関係のない問題ではあるか。
あーあ、幸福の科学はカルトじゃないまで言っちゃってるよ。これはダメだ。
まずそもそもカルトの定義だが、これはアラン・ジュスト報告書の以下の10項目のうち1つでも満たせばカルト(あちらの言葉ではセクト)とするのがやはり妥当だろう。そして幸福の科学はどうかというと、
しっかり当てはまるな。で、そんなところの仕事を請けるのみならず、カルトではないと擁護していると。というかまあ、擁護するか、仕事請けた手前。しかし曲がりなりにもジャーナリストを名乗る人物が、そのジャーナリズムと喧嘩してるカルトを擁護するというのはたちの悪い冗談だ。というかカルト/セクトというのは反社会的団体なんだから、そこで極端な相対主義を持ち出したり、具体例の話に対して一般論を持ち出したりして擁護するのはいくらなんでも脳みそが腐っている。擁護するなら「カルトの定義に当てはまらない」「現行のカルトの定義は問題がある」のどちらかでないとダメだろう。
今回の場合はその主張を通すなら、アラン・ジュスト報告書の10項目はカルトか判断する際の基準として妥当ではないなどと言うか、あるいはその項目に抵触しないと主張せねばならんのだが、果たしてそこまで突っ張るつもりはあるのか。まあ、どうせ適当に詭弁を弄して逃げるに決まっているが。
思い返せばstudygiftの時点で人を見る目がなさすぎかつ、自分が信用した存在に全ツッパみたいなところがあったけど、考えてみりゃカルトに取り込まれやすい人間の1つのパターンなのかもしれん。本格的に佐々木氏が幸福の科学に取り込まれないことを願う。
……もう手遅れってことはないよな?
例の幸福の科学の件への反応をみていると、オウムとか人民寺院とかを忘れたor知らない奴がこんなにいるのかとか、教団が政治的影響力を持とうと企んで教祖周辺で男女のゴタゴタとか親のダブル役満じゃねえかとか、まあいろいろ思うことが。正直この件で佐々木氏の肩を持ってるゴミクズ及び中立気取ってるスカムの連中を片っ端から晒してやろうかと思ったが、あまりにも多すぎるのでやめた。
明らかにカルトの要件を満たす団体にあくまで賛否を明確にしない立場で取材するとかいうのならそれはジャーナリストの仕事だろうなと思うのだが、佐々木氏は全面的に肯定的な意見を持ち、幸福の科学のカルトとしての側面は宗教についての一般論にすり替え、自身の行動への批判は相対化してスルー、そして仕事の内容はギャラ貰って対談とやってんだから批判されてもしょうがねえだろというかバンバン批判すべきだろ。これは内容がどうか以前の問題だ。
まだデモ段階だが、新曲。聴き所は曲の中核を成す8分3連のリフと、ドラムがブレイクしてからの白玉のみで構成された異様なギターソロ。なんというかあれだ、まんま初期Paradise Lostだ。大体デモテープ〜Gothic期の。21世紀になってその時期のParadise Lostっぽいことをやるのは如何なものかと思わなくもないが、できちゃったものは仕方がない。
大体ソフトウェア開発者が良いUIについてわかっているかというと全然そんなことは一般論として言えないわけで、どちらかというとソフトウェア開発者はその道のプロかつマニア(=悪食)なので多少クソなインターフェースでも自分で作って使っている分には──自分で作った料理が多少マズくてもどうにか食うのと同様──なんとか我慢して使ってしまうみたいな事の方がありそうである。
だからなんつーか、「基本的に運営側がすることが正しいんですよ Webの世界ってそういう論理で動いてるんですよ」とか「ユーザの意識と細かいズレは生じるだろうが、大枠として間違っているはずがないと確信している。」などというのはまず成り立たないと思うし、それが成り立つなら例えば「A/Bテスト」なんて存在しないように思えるし、動画の方もプレイヤーを2系統しばらく存続させてフィードバック受けるとかやらなくていいよな。
俺はニコニコ静画はそんなに頻繁に使っていたわけではないのでちとアレだが、静画のイラストページのリニューアルの問題点はニコニコ動画:GINZAの問題とは若干異なる部分がある。動画同様にタイトルや説明文やタグが画像の上側に表示されるのを前提にした作風というか芸風の作者がいたり、あるいはユーザーがタグ付けでネタを披露したりといった文化があって、それがUIの刷新で台無しになったというのが問題点の重要な一つだったように見える。
これはCGMとしては致命的で、そこがダメになったら競合サービスとの差別化要因が一つなくなるわけで、だから運営もマズいと思って一部は即戻したんじゃねえのかな。まだタグがイラストの下部にある(動画とか静画の中でも漫画はタグの位置は上なので統一感ない)とか、ちょっと微妙な所もあるが。
というわけで例の問題発言をした奴については、そういうCGMとしての特性に立った意見を書いてなさすぎな所も気分悪い。
そういやYoutubeもありえないレベルでコメント欄を改悪した。なんだろう、CGMサービスを提供してるところってユーザーに嫌がらせしないといけない業界ルールでもあるのか。
Loud & Metal Maniaに行ってきた。いやー、楽しかった。以下、簡単にライブレポを。
結論としては外れなしの面子だった。あえてベストを挙げるなら、単純なショウの出来ではBattle Beastがトップだろうけど、もっとも予想以上に楽しめたという意味でSmash Into Piecesかな。Whisperedはショウの出来という点では今一歩だったが、盛り上がったので良しとする。
件の佐々木俊尚について何が問題だったのか、めちゃくちゃわかりやすく論点を列挙している。未だにオウムがあったのにのほほんとしてる田原総一郎にもちょっと触れているが、カルト問題について深く考えない自称ジャーナリストとか文化人の類は本当にマズい。
そんで未だに幸福の科学がカルトではないと信者でもないのに主張してる連中がいて頭が痛い。厳密に政教分離を掲げているはずの日本で幸福実現党などというそのものずばりの政党を組織して政治活動を行おうとしただけで、カルトの要件を満たすには十分だというのに。例の10項目は1から9は犯罪に容易に繋がりうるもので、10番目は政教分離についての事なんだから、あれを日本でも使うのはかなり有効だろう。そういう具体的な根拠なしにカルトではないと言い出すとか正気とは思えん。
記憶が正しければ今日でAddidasのenergy boostを履いてランニングに出るようになって一ヶ月ぐらい経つが、確かに「満足できなければ全額返金」と強気に出るだけの事はある。これまではボロボロのスニーカーを履いていたのだが、その状態と比べると雲泥の差。
とにかくかなり足への衝撃が緩和されたので、これまでは持久力よりも足へのダメージの蓄積で距離が制限されていたのが取っ払われた。今までは足にダメージが溜まってくると1回5km程度、そうでない時は7km程度のペースで走っていたが、energy boostに変えてからは9〜10kmはコンスタントに走れている。
ところで商品ラインナップを見ると、人によってはadistart boostとかの方が良いかもしれないので、もしも買うのであれば履き比べてみた方が良いかもしれない。俺は特にenergy boostで不満はないが、ランニング経験の乏しい人は一考の余地ありかも。
俺がこれを知ったのはつい最近というかつい昨日だが、ついつい読みふけってしまった。俺も昔はブシドーMMOみたいなところにちょくちょく書いて遊んでいた時期があったが、これはそういう緩い奴じゃなくてかなり厳密にルールが定められているようだ。
あとこれを元ネタにしたゲームもあるようだが、どうにもライセンス関係で揉めてる模様? CC-BY-SAなのでクレジットを明記して同じライセンス条項を採用すれば問題ないはずなのだが、そこの解釈が問題なのか? どうもゲームそれ自体はCC-BT-SAじゃないっぽいので、そこが問題か? この辺はちと興味があるので調べてみたいが、既に結構な分量のログになっているようで厳しい。
割とダウンチューニングがよくわからんという人を見かけるのだが、このページはダウンチューニング入門として悪くない感じにまとまっている。特に弦のゲージについては結構迷う所だが、まあこのページで勧められているゲージは妥当だと思う。付け加えるなら、ドロップDやドロップCなど6弦だけ落とす場合は6弦だけ太いセットを選ぶべきだが、そういったセットはあまり売ってない。詳しいことはD'Addarioがテンションチャートを出しているので。そこで調べるのがいいだろう。
ちなみに最近俺は全弦3音半下げのスタンダードAで演奏しているが、ここまで下げると12-60あたりのセットでもギリギリ。もちろんテンションの緩さを前提にしているのでそこはまあ問題ないのだが。あと前にも書いたがディストーションサウンドで低域のノイズを生かしたヘヴィサウンドを出すにはバリトンギターよりも通常のギターの方が向いていることは珍しくないので、まあ無理にバリトンギターを使う必要はなかったりする。(よりくっきりしたサウンドが欲しいなら考慮すべし。)
ちなみに音楽ジャンルとしては以下のような感じで使われる傾向にあると思う。もっともあくまでも傾向で、スタンダード〜半音下げでドゥームやってるバンドもいるし(Black Sabbathの最新作は半音下げ)、超ヘヴィチューニングでオルタナやってる例もある。